例会記録

2023年5月例会記録

「『わたし、しばらく実家に帰ります』・長期里帰り慣行についての一考察ー岐阜県旧宮村の事例からー」服部 誠(2023.5.31)

はじめに
 家制度のもとでは、嫁の里帰りには様々な制約があり、自由におこなわれるものではなかった。そうした意識は現代でも引き継がれていると言ってよい。しかし、北陸を中心として、嫁が長期間里帰りする慣行が存在し、古くは瀬川清子氏が「嫁の里帰り」(1953、『日本民俗学』1-1)の中で「嫁のセンタク帰り」として取り上げ、注目されてきた。この発表では、先行研究で長期里帰りがおこなわれる背景がどのように分析されてきたかを紹介し、岐阜県旧宮村の事例を用い、この慣行の意味について考えたい。

A 長期里帰りの先行研究
 長谷川昭彦氏は、「嫁の里帰り慣行」(1973、『むらの家族』ミネルヴァ書房)の中で、石川県能登地方、福井県若狭地方、京都府北部地方の長期里帰りについて、アンケート調査の結果を示している。これによれば、奥能登では1週間以上の里帰りを年に4~5回おこない、トータルでは年間30日におよぶ里帰りをおこなっていた事例が3分の1を占めたという。また、小浜市国富地区での里帰りの実態として長期里帰りの「センタク帰り」と、結婚後、一定期間は嫁が実家と婚家を行き来する「番」の事例を示し、長期および定期的里帰り慣行の社会的意義を考察している。それによれば、これらがおこなわれてきた背景として、婚家での嫁の地位の低さを指摘している。
 中込睦子氏は、「若狭地方における里帰り慣行と主婦権」(1994、『縁組と女性』早稲田大学出版部)の中で、小浜市国富地区の高塚集落をフィールドとし、長期里帰りがおこなわれるのは女性が実家と婚家に両属している時期であり、その地位をどう解釈するかについて考察している。それによれば、里帰りをおこなわなくなるのは33歳の年祝いにより、コシラエオサメとして実家から最後の嫁の荷が婚家に届けられ、嫁が婚家の人間として認められる際か、姑が高齢化したり死去した時であり、いずれも嫁が婚家の主婦として認められる機会であるという。すなわち、嫁が婚家の主婦になるまで、実家で待機しているのが長期里帰りの期間であるとされる。

B 旧宮村の長期里帰り
 2005年に高山市に合併された旧宮村は、神通川水系の宮川の最上流に位置し、高山にホタと呼ばれる薪を供給してきたところである。ホタは宮川を使って下流に流し、高山の上河原町の堰で陸揚げして販売された。
 旧宮村では、冬になって雪が降ると、女性のできるような山仕事がなくなるため、「嫁はいらない」とされ、正月と二月正月の2度、嫁は長期にわたって実家に里帰りをした。「冬中は、大方が実家の厄介になっていて、彼岸になってから嫁のところの仕事をするくらいだった」といい、子供がいれば子供も連れて実家に帰った。里帰りの名目は洗濯であり、自分や子供の衣類を張板に貼って洗濯したり、仕立て直したりした。しかし、実家では「オカッテもちょっとはやるが、遊んでいられる」とされ、実際には骨休みが目的であったという。実家では、嫁いだ娘がみんな、何人も子供を連れて帰ってくるため、食事の支度だけでもたいへんだった。長いこと嫁が実家から帰ってこないと、夫が怒って来ることもあったという。
 センタク帰りがおこなわれた理由として、「口減し」であったという解釈もあるが、嫁を実家に返しても娘が里帰りしてくるので結果として負担は同じであり、首肯することができない。それよりも、「同年輩の小姑がいれば、ツノヅキアイがあるので、これを避けるために帰ったものである。嫁が出ていって娘が帰ってくれば水入らずになる」という、仕事がない時期に姑、小姑と嫁が一つ屋根の下に住む気詰まりを解消するためのしきたりだったという解釈の方に説得力がある。
 長期の里帰りが認められる条件とは何であろうか。「ヨメザカリの時はいないでもよい。そういう時期は、うちから出た人も帰ってくるので、嫁と小姑一緒にいられないため、センタクに帰ることになる」とされ、結婚後、数年の時期がセンタク帰りにはふさわしかった。そして、嫁が里帰りをしている期間、婚家では姑が家事をおこなうため、姑が元気であることが必要となる。また、実家でも、兄嫁が里帰りせずに家にいたりすると帰りづらく、兄嫁がいなくなったタイミングで里帰りをすることになる。
 センタク帰りはずっとおこなうものではない。「センタクはシュウトがきついうちは行く。10年もということはない。7~8年である。だんだんと行かなくなる。シュウト様が弱くなると、家でやることが多くなってゆく」とされ、嫁が婚家の主婦になる時期に、センタク帰りは終わりを迎える。

C 長期里帰りの解釈
 旧宮村の長期里帰りの意義は、冬の農閑期の嫁姑問題の回避にあることは間違いがない。そして、中込氏が言うように、この期間は嫁が実家と婚家の双方に属しているのであり、長期里帰りは嫁が婚家での主婦権を獲得するまでの間、実家で待機をしているのだという解釈は妥当であろう。それは、一時的訪婚と同じ背景だとも言える。
 しかし、一つ疑問点がある。旧宮村では、実家が近所の場合、センタク帰りをすることはないのだという。例えば隣家に嫁いだ場合、センタクに帰るのはおかしいことだとされる。それはどうしてなのだろうか。主婦権の問題と関係するのであれば、近くても里帰りをするはずである。隣家に嫁いだ場合にセンタク帰りをしないのは、いつでも親子が会えるため、里帰りをする必要がないからであろう。
 長期里帰りがおこなわれる期間を、嫁の両属期間とみなす見方は、結婚を実家から婚家への女性の移動と捉える家制度を前提とするものである。しかし、家制度が一般に浸透するのは明治民法の施行後であり、センタク帰りという慣行は、それ以前から行われていた可能性が高い。また、長期里帰り期間を除けば、嫁は婚家の家事に従事しているのであり、姑との間に労働と家事の分担をしているわけではない。長期里帰りで、姑が家事ができなくなる時期を待っているとは言えそうにない。そのように考えると、長期里帰りの意味は、結婚後も娘と親の関係を継続させるための慣行であったと、素直に理解する方がよさそうである。
 北陸地方ではフリヤの難題といって、結婚後の実家の負担が大きいことが指摘されている。また、尾張地方も嫁の在所の負担が大きいことで知られる。尾張地方では、在所との関係は嫁いだ女子が亡くなるまで強固に続き、死後の法要の費用を在所もとが負担した事例もある。家制度の普及により、結婚は実家から婚家への女子の移動と見なされるようになるが、本来、嫁いだ女子は、結婚後も実家の人間として扱われていたのではないだろうか。そのために事情が許せば、長期里帰りがおこなわれた、という解釈は、いかがなものであろうか。

おわりに
 社会的な民俗慣行の解釈は、研究者が基礎に置く(当然視する)社会を前提におこなわれることが多い。家制度を前提として長期里帰りの背景を考察することから一度距離を置き、あらためてこの問題に取り組むことも必要かも知れない。

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