例会記録

2023年2月例会記録

2023年2月例会記録

「文化交流と郷土芸能の伝承~沖縄県読谷村と蟹江町の交流から~」
 大野麻子(2023.2.22)                

はじめに
 愛知県海部郡蟹江町と沖縄県読谷村は近年交流事業を行っており、令和4年度においては、コロナ禍で見合わせていた文化交流事業が再開された。7月に蟹江町で開催された蟹江町生涯学習推進町民大会では、蟹江町の須成鼓笛保存会と読谷村の座喜味棒保存会が互いに芸能を披露し合い、さらには、10月には須成鼓笛保存会が読谷村を訪問し、読谷まつりのステージで太鼓の演奏を披露した。こうした交流事業が郷土芸能の伝承活動にどのような影響を与えたのかについて述べる。

1 蟹江町と読谷村(よみたんそん)
●交流のはじまり
 平成26年(2014)10月25日に両観光協会が「相互協力に関する覚書」を締結した。締結内容には、観光に限らず、地域の発展のために相互に有益だと認める各分野での連携・協力に努めること、人的交流の促進などが盛り込まれた。これを契機に蟹江町と読谷村との様々な分野での交流が始まった。
●両自治体の基本情報
 ここで両自治体の基本情報を確認しておく。愛知県海部郡蟹江町は、名古屋の西隣で、日光川に蟹江川、善太川、佐屋川等が合流する低湿地にある。面積は11.09㎢、人口は約3万7千人、産業は商工業(工業部品、製粉、醸造業、食品加工等)、農業(米、いちじく等)などがあるが、現在はサラリーマン世帯も多く、名古屋のベッドタウンとなっている。かつては伊勢湾に面し、水上交通の拠点として蟹江川を中心に発展してきたまちであり、ユネスコ無形文化遺産の川祭りである須成祭が伝えられ、尾張の農村部に分布する神楽を奉納する秋祭りが盛んに行われる。観光資源としては、須成祭、尾張温泉等があげられる。
一方、沖縄県中頭郡読谷村は、沖縄本島の中部の那覇から北に28kmの場所にあり、東シナ海、東は読谷山岳、南は比謝川、北は残波岬に囲まれる。面積は35.28㎢、人口は約4万2千人で日本一人口が多い村となっている。産業は観光、農業(紅芋、マンゴー等)、漁業、商工業(泡盛「残波」、スパム、土産用菓子などの食品加工等)があり、中日ドラゴンズのキャンプ地としても知名度が高い。その歴史に目を向けると、明との貿易船=進貢船により外来文化を取り入れて発展してきたといい、花織や焼物(ヤチムン)などの伝統工芸品や三線、エイサー、獅子舞、棒術などの芸能が今に伝えられてきているが、太平洋戦争末期の沖縄戦ではアメリカ軍の上陸地となり、戦跡や米軍基地も存在している。観光資源としてはマリンスポーツ、座喜味城跡、戦跡、伝統工芸体験等などがあげられる。
●覚書締結後のと交流の取り組み
 蟹江町と読谷村を比較すると、観光面等では読谷村の方が先進的であったし、既に他自治体との提携もあったが、読谷村が中日ドラゴンズのキャンプ地になっていて愛知県に馴染みがあることや、自治体の規模としては同等であることから相互協力の締結に結びついた。締結後の取り組みとしては、以降、イベント等での観光促進・物産品販売事業だけでなく、相互に中学生を現地派遣しての交流事業や、互いの郷土芸能団体を派遣する文化交流事業等が実施されている。

2 文化交流事業
●蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会
 文化交流事業の一つとして、蟹江町主催の蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会での文化交流会がある。この事業では、生涯学習についての事業報告や中学生の主張の後、文化交流会として蟹江町と読谷村が相互の芸能を披露し合い、互いの感想を述べるなどして交流をはかるものである。覚書締結翌年の2015年から実施しており、2015年は蟹江町から西大海用神楽太鼓、読谷村からは伝統舞踊、2016年は蟹江町は箏曲、読谷村は三線と伝統舞踊、2018年は蟹江町はチアダンス、読谷村は獅子舞が披露され、交流を行ってきた(ちなみに2017年、2019年は蟹江町と交流のある設楽町の郷土芸能団体との交流であった)。2020年、21年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響により事業が中止されたが、2022年には対策をとりながらではあったが、交流事業が再開された。
●2022年の蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会での文化交流
 2022年の蟹江町での文化交流会は、7月3日(日)に実施され、蟹江町からは、須成鼓笛保存会、読谷村からは座喜味棒保存会が郷土芸能を披露した。須成鼓笛保存会は、平成28年に「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録された須成祭の宵祭・朝祭において境内で須成太鼓を奉納する団体である。特に、稚児行列が神社へ入る時に神を迎える曲「神子太鼓」を演奏するという重要な役目を果たしている。また、須成祭囃子の笛の演奏や太鼓の指導を行っており、須成祭の伝承に欠かせない存在となっている。昭和50年発足で、現在会員68人(役員24人、伝承者44人)で後継者育成を目的に伝承事業を年間通して行っており、毎週火曜日と金曜日に活動している。2020・21年、コロナ禍において須成祭の宵祭・朝祭も中止になり、伝承活動に参加する人も数人に激減していた中での出演であったが、この日は、神子太鼓伝承者7名・祭囃子伝承者4名(1名重複)が出演し、威勢の良い神子太鼓と優雅な須成祭囃子を披露した。神子太鼓は、威勢のいい太鼓で、演奏の途中にバチをくるくると回したり、放り投げて受け止めたりする見せ場のある曲打ち太鼓である。須成祭囃子は、ゆったりとしたリズムの曲で、本来は祭りのために選ばれた稚児が演奏するものであるが、ユネスコ登録を機に催事の舞台で鼓笛保存会メンバーが演奏して披露できるようにしている。
 座喜味棒保存会は、座喜味棒術のほか、沖縄県に広く分布するエイサーの伝承を行っている団体で、昭和50年に発足し会員は50名。座喜味棒術は、世界遺産である座喜味城築城の頃から普及したとされている。沖縄の棒術は自分達の身を守るだけでなく、集団で村の防衛を果たすものでもあるといい、座喜味地区に伝わる座喜味棒術には11種類の型があり、実戦型であるのが特徴だとされる。毎年12月に一年の豊穣を祝う「共進会」の最後に演じられるほか、首里城祭や県外、海外の公演も実施している。この日は、20名あまりが蟹江町を訪問して舞台に出演し棒術を披露、須成鼓笛保存会の演奏をはさんでエイサーの演舞も行った。蟹江町にも読谷村にもいくつかの郷土芸能保存団体があるが、長いコロナ禍明けの交流として、世界遺産である座喜味城に関連した棒術を伝承する座喜味棒保存会と、無形文化遺産の須成祭の伝承に関わる須成鼓笛保存会とが交流するというかたちとなったのである。この事業は、お互いが舞台で芸能を披露するだけでなく、最後にそれぞれ披露された郷土芸能に対して感想を伝え、交流することになっているのが大きな特徴であり、出演者の代表者たちが感想を伝えてから記念撮影を行い交流した。遠く離れた地域の芸能を真剣に見る機会となっただけでなく、改めて自分たちが伝承している郷土芸能の特徴を認識する機会となった。

●読谷まつりでの須成鼓笛保存会の演奏
 2022年は、蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会での文化交流に加えて、読谷まつりのステージで蟹江町の郷土芸能を披露することになり、須成鼓笛保存会が出演を果たした。読谷まつりは、毎年10月末に読谷村村民総出で参加するイベントで、保育園児、小学生、中学生、高校生の遊戯やダンス、楽器演奏をはじめ、文化協会団体や郷土芸能伝承団体の演目を舞台で披露するほか、屋台の出店、物産や工芸品の展示を行うものである。2022年は3年ぶりの本格開催となり、10月29日(土)と30日(日)の日程で行われ、1日目は、赤犬子琉球古典音楽大演奏会、2日目は、進貢船を中心とした創作劇がクライマックスとなり、まつりは終わる。赤犬子は、15〜16世紀頃活躍した琉球古典音楽の始祖とされる読谷村出身の人物で、地元では神格化されている。進貢船14世紀の貿易船で、明との貿易により地域に富をもたらした。読谷村出身の、初の進貢使となった泰期は商売の神様とされ、創作劇の主役となっている。そのような催しの中で、須成鼓笛保存会による神子太鼓の演奏が10月29日(土)の午後に行われた。師範と練習生12名が参加、コロナ禍になってから活動を控えていた練習生も久々に集結した。まつりでは、唯一の読谷村民以外の出演であり、演奏前に蟹江町と須成祭についての解説の後、演奏が始まった。演奏が始まった頃はステージ前の客席の空席も多かったが、太鼓の音色が会場に響きわたると、飲食ブースにいた人たちが集まってきて次第に空席も少なくなり、動画撮影・動画配信などをする人もあった。特にバチさばきや、笛の音色が注目を浴びた。須成鼓笛保存会は、今までも県の民俗芸能大会や、独自で県外のステージにも出演してきているが、町の代表として蟹江から遠い沖縄県読谷村で演奏する機会を得たことは、会にとって非常に刺激になったようである。コロナ禍で低迷していた伝承活動が再度活性化するきざしがみえた出来事であった。
●もう一つの事例― 西大海用神楽太鼓保存会  
 蟹江町と読谷村との文化交流によって伝承活動が活性化した郷土芸能伝承団体に、西大海用神楽太鼓保存会がある。蟹江町南部の蟹江新田の西大海用神明社の秋祭りで奉納する神楽太鼓を伝承する団体で、例年須成祭への奉納や町民まつりなどにも出演しており、毎月第2・第4土曜日に年間を通じて伝承活動を行っている。当保存会は読谷村と交流事業が始まった2015年に蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会と読谷まつりで文化交流を経験した。元々伝承活動は活発に行われていた会であったが、これを契機にOG会(おおじい会=年配の男性たちによるサポートの会)、OB会(おばあの会=年配の女性によるサポートの会)が結成され、活動はさらに活発になり、今に続いている。

おわりに
 蟹江町と読谷村文化交流事業では、ただのイベントへの「出演」ではなく、それぞれの郷土芸能伝承団体が地域を代表して「文化交流」を行っている。それが伝承活動の活性化にも大きく影響を与えることにつながる要素があると感じている。コロナ禍で疲弊していた須成鼓笛保存会の活動がこれをきっかけに活性化することを期待したい。

【質疑応答】
Q:蟹江町と読谷村では知名度が随分違うが、交流が始まったいきさつは?
A:蟹江町長の意向により始まったと聞いている。知名度は違うが、読谷村がドラゴンズのキャンプ地となっていて愛知県には馴染みがあること、行政規模としてはかけ離れてはいないことが、とっかかりとなったのではないか。

Q:蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会での蟹江町民の反応は?
A:現地に行かないと見られないような沖縄の郷土芸能が生で見られるということで、多くの方が関心を寄せ会場に訪れている。

Q:須成祭囃子は稚児が演奏するというが、選出はどのようにされるのか。
A:役目によって対象年齢が違い、座っているだけの稚児は2~3歳、大鼓は4~5歳、小太鼓は小学校低学年、大太鼓は小学校高学年の子が選ばれる。

<その後の須成鼓笛保存会の活動>
 2023年3月、須成鼓笛保存会の活動現場に訪れた。会場の入り口のワイトボードには、会員募集の文字とともに読谷まつり出演時の写真が掲示してあった。役員の話では、新年度から新たに会員に加わりたいという問い合わせも来ているとのことである。実際にこの交流事業が、会の活動の活性化に影響を与えていることが実感できた。

(以上 文責 大野麻子)

【感想】
 10年ほど前、設楽町の黒倉田楽の調査をしたことがある。黒倉田楽は田遊びに花祭りの要素が加わった独特の芸能で、戸数わずか21戸の山間の集落・平山地区で伝承されている。田楽は2月第3日曜日、黒倉神社で営まれ、まずは2週間前の練習を見に行った。若い人の姿は見られず、担い手はすべてお年寄りで、過疎の集落でよくこれが維持されているなと思った。もうやめようという声は出ないのだろうか。田楽当日の朝、田楽の保存会長が挨拶をした。「今年も豊橋からバスが2台来る。みんなそのつもりで頑張ろう」。聞けば、旅行会社が黒倉田楽見学のツアーを組んでいるのだという。田楽が始まる頃、神社の狭い境内は人であふれ、ツアー客が社殿での田遊び、社殿前での鬼の舞に見入った。婦人会の女性たちは豚汁の接待をし、過疎の集落はいっときの賑わいを見せていた。主役はお年寄りたちである。たくさんの観客に自分たちの芸能を観てもらうことが、山間の田楽を継続してゆく原動力になっているのであり、演じる者と観る者との共感が、民俗芸能の維持には欠かせないことがうかがえた。
 さて、今回の大野麻子氏の発表は、蟹江町と沖縄の読谷村との文化交流が郷土芸能の継承とどのように関連しているかについてである。どうして二つの自治体が交流を始めたのか。読谷村は沖縄戦で多数の犠牲者を出したチビチリガマがあることもあり、在沖米軍の楚辺通信所の返還運動など、一貫して反基地を訴えてきた村として全国的に知名度が高い。読谷山花織や「やちむん」、琉球舞踊などの民俗文化は平和の象徴と位置づけられてきた。そうした自治体との交流は、蟹江町にとっても大きなプラスになるという考えから提携がおこなわれたらしい。そして、そこにはさまざまな効果が表れていることが理解できた。コロナ禍で活動が低迷していた蟹江町の須成鼓笛保存会は、2022年の読谷まつりに参加することを契機に再集結。ユネスコ無形文化遺産登録の須成祭の神子太鼓を蟹江町の代表として沖縄で演奏する。そのことが、再集結のきわめて大きな動機付けになったのは間違いない。また、郷土芸能を通じた読谷村との交流は蟹江町生涯学習まちづくり町民推進大会でもおこなわれ、郷土芸能の披露のあと、互いに感想を交換したという。よくある郷土芸能の発表会では演じたらおしまいであるのに対し、他者からどう観られているかを確認するのは大切なことであろう。蟹江町の中学生も、町を代表して読谷村の中学生と交流をしているといい、彼らが郷土芸能に接することの効果も大きい。そうした場合、交流相手が全国区レベルの自治体であることは頼もしいことに違いない。郷土芸能の継承発展には、後継者の確保と活動維持の動機付けが欠かせないが、遠隔地の市町村との交流が、そうした面での力になっていることは確かであろう。
 蟹江町は、読谷村のほか、沖縄県の大宜味村、愛知県では設楽町とも交流関係を結んでいるという。今度は、黒倉田楽と須成祭のコラボレーションなどはどうだろうか。
(文責 服部 誠)

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